第2話 ラストチャンス
氷高颯矢
書類の山に埋もれて、城戸厚志は今日も遅くなるんだろうなぁ…と腹を括り始めた。
「厚志さん、今日も残業?」
「拓巳くん。どうしたの?今日はもう上がりでしょ?」
爽やかな黒髪が印象的な青年はため息をついた。
「外にファンが張りついとって帰られんのです…」
「拓巳くん、もしかして今日も事務所に自転車で来た?」
「ハイ」
爽やかに答えられて、厚志は脱力する。
陣内拓巳は二人組男性アイドルユニット"ジンクス"のメンバーの一人で、厚志の担当するタレントだ。デビュー前、一緒に暮らしていた事もあるが、当時から一人で地下鉄に乗れなかったり、パジャマで仕事に行こうとしたりとボケをかましてくれていた。デビューしてからもこの調子で、いつまでたっても天然ボケが直らない。
「じゃあ、今日は車で送るから…この書類、ちょっと片付ける時間待ってくれる?」
「ハイ。もしかしてコレ、ボク等の弟分の応募書類ですか?」
「ああ、ある程度絞ってから番組のプロデューサーに渡そうと思って…」
拓巳が何枚か摘み取る。
「厚志さん、コレね、"Seed"はアリなんですか?」
「えっ?」
「まぁ、ボク等も元・Seedやから、デビュー前やし、別にええとは思うんやけど…この子は――」
持っている書類から一通を差し出す。受け取った厚志は目を見張った。
「どうして逢沢奏がいるんだ?!」
逢沢奏――人気男性アイドルを何人も抱える『オーキッズ・プロダクション』の研修生"Seed"の中でも、デビューが有力視されている程の人気と実力を持つ。
「他にも、この子――深町に鈴呂。逢沢に比べたら劣るけど、一応"Seed"のはず…」
「本気なのかどうか…微妙だな。下手に使うと事務所がらみで揉めそうだし…」
「でも、宣伝にはなるんちゃう?仕込む手間も省けるし…あとね、ボクとんでもない子、発見しちゃったんよ!」
にっこりと拓巳は笑う。
「見て、羽鳥柊吾!この子、神条桜耶の弟やねんで!」
「神条桜耶だって?」
神条桜耶――『オーキッズ』の誇る最高のタレント。その容姿もさる事ながら、そのファッションや言動が若者達の間で受け、一種のカリスマ的存在にさえなっている。
「ボク等が"Seed"やった時、一瞬やけど、この子も"Seed"におってん…桜耶の弟って事で仲間内では注目されててんけど…」
「今、"Seed"にいないって事は辞めたって事か…」
「まぁ、解らんくもないけど。桜耶の弟ってずっと比較される環境はイヤやろ?ボクならゴメンやもん」
厚志は拓巳が渡してきた書類の全てを合格者用のファイルに綴じた。
「合格させるん?」
「ああ。元々、お前等のおかげで『オーキッズ』には目を付けられてるんだ。こうなりゃ、とことんまで行ってやるさ!」
「ギャンブラーやね、厚志さん♪」
拓巳が頬杖を付いた時、肘があたって書類が一通、はらりと落ちた。
「ゴメン、落ちたわ。…ふぅん。あと3,4年したら、めっちゃええ男になりそうな顔やな」
拓巳が何か含みのある表情をしたのが気になって、厚志はそれを覗き込んだ。書類に添付された写真を見て、息を呑んだ。
「…この顔――!」
「梓沙ちゃん、コイツ見たらビックリするやろうな」
「確かに…それは俺も同感だ…」
厚志はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「厚志さん、この子合格にしましょ?応募の動機が気に入ったわ。『魚住ケイトより有名になりたい』からやって。分かり易くてイイじゃないですか」
厚志は少しだけ思案して、それを合格者用のファイルに綴じた。
オフィスビルの立ち並ぶ都内の一等地にそれはある。『オーキッズ・プロダクション』と書かれた看板を知らない者はいないだろう。そこに現れたのは学生服の少年。
「逢沢だけど…社長――いや、由岐専務いる?」
「少々お待ちくださ…」
「良いですよ。俺が案内します」
受付の女性を遮ったのも少年の声だ。やや甘い声の、王子様的という形容の似合う容姿の少年は何やら冊子のようなものを何冊か抱えていた。
「松浦…」
「逢沢、珍しいね。事務所より合宿所メインのお前が来るなんて」
「そうだ。面倒だからこれ専務に渡しといてよ」
白い封筒を差し出す。
「何?これ…」
「退所届だよ。うやむやに辞めるのは性に合わないんでね」
「そう…」
残念そうな表情をする松浦は、逢沢の心をチリチリと燃やしている感情に全く気付いてない。
「俺はお前と戦う為に辞めるんだ。ここはお前の部下しかいらないシステムらしいから、俺みたいな奴は不用なんだと」
「お前、そんな風に思ってたのか?」
「仕方ないだろ?社長が話してるの聞いたんだよ…俺は、ここを出て成功した奴が殆ど居ないのは知ってる。でも、無いよりはあるほうが良いだろ?俺は飼い殺しなんて耐えられない。可能性のある方に賭ける。ゼロじゃなければ何とかやるさ…」
「逢沢…」
逢沢は事務所を出ると、携帯を取りだし、ある番号に掛ける。
「――柊吾?今、ケリ付けてきた。これからお前の家行って良いか?」
通話状態のままタクシーを止め、乗り込む。タクシーの中で逢沢は思い出していた。あの日の事を――。
偶然、通りかかった会議室の前。時々、レッスンスタジオを兼ねる合宿所に社長が訪ねて来る事がある。その日も、レッスン風景を見学にきていたようだった。
『逢沢はダメだな』
『社長!どうしてですか?私が担当している"Seed"の中でも人気も実力も抜けてますよ!』
研修生のSeedにも人気が出ればTVに出る機会が与えられる。そういう仕事が多くなれば、担当マネージャーもつけてくれる。逢沢の担当の浅野が社長と揉めていた。
『アキラに合わない』
社長は一言の元に斬り捨てる。
『松浦ですか?…それは、確かにそうかもしれませんが…』
『今、ウチが力を注ぐべきなのは松浦アキラだ。アキラと並んで相応しい人材を探すのが先決だ。ケイトがいない今、アキラと並んで問題が無いのは不破架月くらいだ。逢沢はアキラの華に添う輝きを持っていれば使ってやっても良いが、不可能だろう?逢沢は致命的な欠点があるからな…』
その言葉に浅野は黙ってしまう。反論する余地が無いという事か?
『じゃあ、逢沢はそれまでの繋ぎとして?』
『使い捨てだ。"Seed"は種。花を咲かせるのはその中でも限られた者だけだ』
デビューできるのは一握り。その可能性すら与えてもらえずに種のまま枯れさせれる…。逢沢にとってそれは耐え難い事だった。
『羽鳥』と書かれた表札。高級なマンションの一室。
「逢沢?」
「柊吾…」
「お前、らしくない。強気が売りの逢沢奏はどこ行ったんだ?」
優しげな顔の少年が逢沢を招き入れてくれる。
「ヤな奴に会った」
「アキラくん?良い子だよ、彼…」
柊吾は過去の記憶を遡る。曖昧だが、礼儀正しく、爽やかな印象が残っている。TVで見る限り、イヤな奴には見えない。
「だからイヤなんだ。松浦は別に悪くない。けどその分、自分との差が思い知らされる…」
「逢沢、そんな事ないよ。ただ、時期が悪かったんだ。それを証明するんだろ?」
柊吾は微笑む。比較されること、することの辛さは彼も十分に知っている。だから、二人は一緒に進む約束をした。
「このオーディションをラストチャンスにしようよ。合格してさ!」
「ああ、そうだな」
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第3話「隣のライバル」へ続く。